妻恋う鹿は笛に寄る

初夏の作品

雑貨&洋服のお店の店員を十年近くしているが、一人気になる男性客がいた。こういうとなんだが鬼のような怖い顔をしているが、いつも女性物の服を買って帰る。それもとびっきり上品で可愛いものを選ぶ。季節が変わる頃に、いつも一人でやってきて、店に入荷して段ボールから出そうと思っていたものや、マネキンに着せたばかりのものを、鋭い嗅覚があるのか、選びとって買って帰る。その目利きぶりにはベテラン店員も舌を巻いてしまう。この男には恋人などいる様子もなく、自分のために買って帰っているのか、それとも妄想癖があって、妄想恋人なるものがいるのかと思ってしまっていた。ある時、その客が美女と野獣とはこのことだとぴったり当てはまるようなかわいい恋人を連れてお店に訪れた。これで数年来の謎が解けたようで、私はびっくりしたのと嬉しいのとで、涙がこぼれた。恋人の女性は男がお店で購入した服をきちんと着こなしていて、大事に使っているようだった。少しお話して聞いたところによると長い間遠距離恋愛をしていると言う。美女と野獣と言うのは少し失礼かもしれない。春に咲く野の花と、待ちわびていたかのように飛び始めたかわいい蝶のような気がした。すごくお似合いのカップルのように思えた。