妻恋う鹿は笛に寄る

初夏の作品

雑貨&洋服のお店の店員を十年近くしているが、一人気になる男性客がいた。こういうとなんだが鬼のような怖い顔をしているが、いつも女性物の服を買って帰る。それもとびっきり上品で可愛いものを選ぶ。季節が変わる頃に、いつも一人でやってきて、店に入荷して段ボールから出そうと思っていたものや、マネキンに着せたばかりのものを、鋭い嗅覚があるのか、選びとって買って帰る。その目利きぶりにはベテラン店員も舌を巻いてしまう。この男には恋人などいる様子もなく、自分のために買って帰っているのか、それとも妄想癖があって、妄想恋人なるものがいるのかと思ってしまっていた。ある時、その客が美女と野獣とはこのことだとぴったり当てはまるようなかわいい恋人を連れてお店に訪れた。これで数年来の謎が解けたようで、私はびっくりしたのと嬉しいのとで、涙がこぼれた。恋人の女性は男がお店で購入した服をきちんと着こなしていて、大事に使っているようだった。少しお話して聞いたところによると長い間遠距離恋愛をしていると言う。美女と野獣と言うのは少し失礼かもしれない。春に咲く野の花と、待ちわびていたかのように飛び始めたかわいい蝶のような気がした。すごくお似合いのカップルのように思えた。

気持ち通じ合う

生きていて一番うれしいことは、気持ち通じ合う人と出会うことではないだろうか?それは同性かもしれない。異性かもしれない。同世代かもしれない。年の離れた人かもしれない。動物かもしれない。植物かもしれない。自然かもしれない。通い合う心と心で語り合う。いつまでも礼節を保ちながら、仲良くできるといいのかもしれない。馴れ合ってくるとわがままが出てくる。そういう僕自身もすぐにのぼせあがってしまうタイプなので、初心忘れるべからず・・・出逢った時の気持ちを忘れないでいたいものだ。これまでいろいろな人から頂いたお便りを整理しなおし、きれいな箱に入れ直したり、一緒に香りのよいものを入れたりした。読み返してみると涙が出そうなぐらい優しい言葉が書かれていたり、愛にあふれた言葉が書かれていたりする。丁寧に書かれた文字、癖のある文字、温かみがある。電話やメールでは伝わらないあたたかさ。それも気持ち通じ合う相手だからこそなのだ。すれ違いができて、別れることになった人とのことも大切に思っている。今の僕があるのは、これまで出会ってきた人たちのおかげであり、感謝している。
 
 
 
 
 
 

他の人に見えているものが見えなくなってしまった。変化に対応できずに戸惑ったままの孤立感。そういう状況はひどく寂しい。一つ分かっていることは、そういう時に身の回りの自然はとても優しいということだ。砂ぼこりを巻き上げるような強い風、花びらの上で光る雨粒、一羽一羽鳴き声の違う鳥たち、水たまりの中の風景、道端で死んでいた蝶。そっと揺れながら入ってきて、心の中で開いていく。心の中で揺れていて、すっと外に開いていく。今は何も手につかず、誰にも語ることなく押し黙っている。土を触り、水を触り、死んだものに触れ、生まれたものにそっと触れている。見えないものを見ようとせずに、見えるものを自然に受け入れよう。息遣いを感じながら、一日一日生きていけたらそれでいい。
 
 

洞穴

人々が愉快に暮らせるような楽園型の人間にはなれないような気がする。面白いことを言える訳ではないし、人を楽しませたり、愉快な気持ちにさせられる人間ではない。どちらかというと、ひっそりとした洞穴型の人間かもしれない。果実もなく、明るい日差しが入ってくるわけでもなく、ただ小動物や鳥が眠るために戻ってくるだけの場所という感じ。いろいろな人間がいて、その求めに応じられる内容もまた人それぞれで、人を楽しませるのが得意な人もいれば、明るい人もいる。そういう中で自分はどんなタイプの人間で、どんなことをしていけばいいのか見つけて、それに徹することって大事だなと思う。僕は暗い森の中で、朽ち果てた木の洞穴のような人間であれるように、そう徹していこう。それでいいと思う。

愛し方

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第一の人格も、第二の人格も
第三の人格も、第四の人格も
第五の人格も、第六の人格も
それを司どっている無意識の私も
それぞれの愛し方で
妻を見つめ、欲している
中にはサイコの私も
満たされ癒されている

 

雪見だいふく

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座るときには、僕が右側、君が左側に座ることがいつの頃からか習慣になっている。それは、僕が右側にいる方が安心感持てるからっていう理由からだった。どうして?と聞くと、理由は分からない。ただ、安心できるのと言う。

君がそう言うのであれば、そうしようと何気なく決めたことが、もう10年経ち、違和感なく、居心地よく、二人は過ごしている。

僕は隣にいる君の顔を見ていると、幸せな気持ちになる。いつも通りのことは、大切にしていないと、いつもどおりではいられない日が来る、はかないことだと思っている。だから、型にはまっていることに喜びを見出している二人の関係を大切にしたいと思っている。

よく考えてみると、おひなさまも向かって右側がおひな様、左側がお内裏様だから、同じ方向から見ると、私たちと同じである。でも、私たちにとって上座下座という概念ではなく、ただ安心感持てるポジションというところからである。 どちらかというと、僕がボケてて、君が突っ込み役なので、日本から昔からあるボケと突っ込み役の立ち位置でも、理に適っていると言える。

君は小さい時から雪見だいふくが好きで、僕は仕事の帰り道に、ドラッグストアで1つ買って帰るのが習慣になっている。そして、二人ともお風呂から上がった後に、テーブルに並んで座り、僕が右側を、君が左側を1つずつ分け合って頂く。それもいつの頃からかの習慣になっている。僕は専用のフォークで頂き、君はお気に入りのフォークを使って頂く。

喧嘩していて口をしばらくきかない時間があっても、この時間がリセットの時間で、また元に戻れる。もちもち食感の生地に、冷たいクリームが巻き込まれている魅惑のアイスミルク。 君が好きだという理由で、食べ始めた私も、すっかり雪見だいふくの虜になってしまった。

それは、まさしく君の魅力に虜になった私の姿とダブる。口の中でとろけるアイスが喉元を優しい甘さで流れ落ちていく。 季節を選ばない美味しさ。

テーブルのある部屋には東側に大きな窓がある。窓の向こうには四季の花を植えて、めでている。雪見だいふくを頂きながら、植物の話を語り合いながら、季節折々の話題を話す二人。 この時間がいつまでも続けばいいなと願う。